まどか☆マギカ 11−12 主題とは?

アニメ卒業できなかった自分がまたブログに書きこんでしまった。
話題性・展開のダイナミズム・オタクごころをくすぐる過剰な演出・数多くの伏線、どれもとても面白く・すばらしいものでした。75点。


しかしなんでしょうこの物足りない感じは。あと15点ほしい感じは。
風評で名作・傑作って情報が至る所から舞い込んでくるし10話のタイムリープが出てきたとき、これは10年代トップ候補?とかワクテカしていたのだが、とりあえず収まる形にまとめたなと。9話の後半でそんな嫌な気配は感じていたんだけどやっぱりであった。


とても素晴らしい作品だとは思うのですが、風評よりは点数下げていいかなと。少なくとも同じシャフト作品なら、オリジナル・原作ありの違いはあれどバケのほうが完成度は高かった。


脱がすところからクンニと手マンとか超絶だったので、おお?これはすごいエロビデオじゃね?とかおもうんだけど、でも120分中95分本番なし・・・これは?!みたいな不安で、結局最後まで本番なしでフェラかパイズリでぶっかけておわりみたいなビデオ。われながら品のない表現だけど、全身で肉と肉が触れ合う生気あふれた物語が観たかった。
でもこれが「萌えアニメ(正確には処女信奉アニメというべきか?)」とくくられてしまうカテゴリーの限界でもあるわけで。
そもそも生気のありなしにこだわる時点で、僕はすでに旧人類と化しているわけで。
そのあたり、けいおんのやり方は現代的だったのだろう、と勝手に納得してしまうのです。


所謂脚本・演出のドライブ感という部分では11話ですべて使い果たしている。
12話に関して言えば、もうあそこまでやるんだから最後までカオティックに展開すると期待されたが、結局まる一話ごと、いかに壮大で神聖な雰囲気を演出するかに腐心し、感情やキャラクターたちの関係性に関しては乱暴だった気がする。


そう、この残尿感は割り切れ(振り切れ)てないグレンラガンである。


んで、主題はなんだったのだろうか。


公式の通り、魔法少女モノ☆オルタナティブ
結局この人達はプリキュアやなのはのオルタナティブをやりたかっただけなのだろうか。魔法少女設定をかりて虚淵節どーたらとかそんなおはなしもちらほらあったが、結局視聴者にしてみれば、魔法少女モノが陵辱されるケヘヘなわけですよね。
異質な魔法少女設定という皮肉は力強い演出・脚本によって話題性が凌駕し、もうオルタナティブどころかメインストリームに流れこんでしまった感はある。もしそれが本気でオルタナティブ狙ってたなら、オチまでオルタナティブ→カオス貫徹できなかったのはちょっと作品として残念な気もする。


少女群像劇、成長劇?感情の機微?
10話でタイムリープ形式で伏線張っておいて、とりあえず全員の立ち位置がわかりました。
はいそこからどう関係性をこじらせる?修正する?大団円する?・・・・結局「そんなのかなしすぎるよ!」「あなたがいるからがんばれる!」とかそんなノリ。乱暴なセカイ系の展開・演出でうわーとどんびいてしまいました。


ジェットコースター?
展開していくエネルギーけピックアップしてみれば、エンターテイメントとして大成功じゃないでしょうか。12話も一言で言えば「ジェットコースター、飛翔。」、というようなENDで視聴者も満足のいくレベルでしたね。僕は満足できなかったけど。


好みの問題だよ。
と言われてしまえば、まったくもってそのとおりかもしれません。個人的には、救える未来だけ救うという西尾維新的なオチのほうが性にあっているというだけなのかもしれませんね。


んで結局テーマってなんだったんだろうって思う。大作と呼ばれるものをみるとつい考えてしまう点である。テーマなんていいから演出・脚本が派手!と気圧された(ゴリ押された)感はある。
ゴリ押された感があとかたもなくなるほどすがすがしく天元突破してるのが、グレンラガンってことで。